知っている人も多いかも知れないが、私にとっては、思い出された、というか、そうだよな〜、と思ったので、覚えておくためにも、ここに記しておくことにします。
どこで何をしていたら気持ちがいい、心地がいいだろうか、ということで、昨日の私の体は私のお気に入りの森の中に行きたがっていたので、行きました!
木の上を歩いたり、立ち止まってストレッチをしたり、鳥の声に耳を澄ましたりなどをしていました。帰り道、裸足になりたくなりました。なので、履いていたブーツ、靴下を脱ぎ、足の裏の感覚に意識を向けて、歩き始めました。
地面の冷たさ、土の柔らかさ、石の硬さ、石が足裏を刺激する感覚など。
とても気持ちがよかった♪
そして、舗装された道路に戻り、さすがに、足の裏が痛くなってきたので、靴を再び履こうとしました。
足の裏、真っ黒です。
最初、これを見た時、なぜか「汚い」という言葉が浮かびました。
でも、その後すぐに、これって、汚いの?
と、疑問が生じました。
この足の裏が”汚い”、わけではないんですよね。
目の前に見せられたものは、
「土がついて黒くなった足の裏。」
これは、洗えば、また元に戻る。そうしたかったらただ、そうすればいい。
そこに”汚い”という感情を付ける必要はなかった。
で、コミュニケーションのことを考えたのだが、例えば、このまま裸足で家に帰り、日本のように、玄関で靴を脱ぎ、この黒くなった足裏で歩き続けるとなると、起こりえることは、
床に土がくっつく。そうすると、床に土が落ちたり、黒い足跡が残ったりする。そして、お母さん、もしくは自分が、しなくてもよかった、掃除をする、という余分な仕事が増える。例えば、掃除をし終わった直後だとなおさら、気持ちとしては、せっかく掃除をしたのに〜、というような憤り、怒り、いらいら、悲しみなどがあるかと思う。
このような時のコミュニケーションとして、
相手に伝える時は、”汚いから、黒くなった足で歩かないで。”ではないな〜、と。
他にも、足の裏が黒いまま、白いシーツのベッドの中に入って来そうになったならば、
汚いから、ではなくて、その先にあるのは、
「シーツは白いままのほうが気持ちがいいから、足を洗ってちょうだい」、
だとか、
「ベッドの中、シーツの上に土があると、なんとなく不快だから、足を洗って〜」
などの言い方になるだろうな〜、と。
この森の散策を通して、事実ではないことを、事実だと思い込んでいること、きっとまだまだたくさんあるんだろうな〜、コミュニケーションがきちんと取れるというのは、すごいことなんだろうな〜、と、思いました。
自然に溶け込んで、遊ぶと、たくさんの気づき、癒しが得られます。最幸〜♪
ちなみに、裸足で土の上を歩くのはグランディングに効果的です♥️
ありがとう。
xo
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